兵庫県の姫路城、愛媛県の松山城と共に日本三大平山城の一つにも数えられているらしい。
「津山城は天下の名城である」そう評価する専門家も多いと聞く。
さて、その実力たるや如何に。
登城
それでは津山城、早速見ていきたいと思います。
この丘陵は古くから鶴山(かくざん)と呼ばれ、南北朝~戦国初期には、守護赤松氏と争う山名氏が築いたとみられるお城が既にあったようです。
まず目に入るのは、城を見守っているかのように建つ銅像。
1603年(慶長8年)、関ケ原の戦いでの戦功により美作国に入った森忠政。
翌年の1604年には、美作国統治の拠点とすべく、津山城の築城を開始したそうです。
森家のお城として歴史をスタートさせた津山城。
どのようなお城なのでしょうか。
入り口にて入場券を購入します。
大人一名 310円
現存建物がないお城で入場料が必要なところも珍しいかと思いますが、そこは史跡保存に貢献するつもりでお支払いします。
というか、そのくらいは支払うだけの価値があるお城ですよ、津山城は。
石垣
津山城の見所と言えば、まずは石垣になるかと思います。
雑誌などで「石垣の名城!」「日本を代表する石垣!」といった企画でも必ず名前が挙がりますもんね。
大坂城や熊本城なども石垣の名城ですが、それらと最も違うのは比高差でしょうか。
津山城はある程度標高があるにも関わらず、麓から中心部までほぼ全域が石垣で造られています。
また、山頂の本丸を頂点として、段状に積まれた「一二三段」と呼ばれる石垣は圧巻。まさに石垣の名城です。
備中櫓
城内でひと際目立つ建造物。
2005年に復元された備中櫓です。
鳥取藩池田家の池田"備中守"長幸にちなんで名付けられた櫓だそう。
岡山県西部の備中地方とは関係ないようですね。
木造で復元されており、内部は御殿のような畳張りで大奥のような役割を果たしていたとされているようです。
麓からもひと際目立つ位置に建つ備中櫓。
現在は津山城のシンボル的な存在として、地域の方や観光客の方に愛されているようです。
天守台
最上部以外破風のない初期型の層塔型天守だったそうです。
特に注目すべきは、四重目の屋根のみが板葺きであった点。
実際には五重天守ですが、この板葺き部分の屋根を数えず、四重天守と称して幕府の規制を搔い潜っていたそうです。(当時五重天守の建設は幕府により規制されていた)
そんな唯一無二の容姿を誇った天守は、明治時代初期の廃城の際に惜しくも取り壊され、現在は天守台のみがひっそりと残ります。
とても巨大で立派な天守台です。
かつてここに聳えていた天守の姿を想像し、そこから見えたであろう風景を眺める。
この天守が街中の人々の目にどのように映っていたのかを想像する。
そして取り壊しの際、崩れゆく天守の姿を受け入れる津山の人々の気持ちを想像する。
初代森忠政の時代から約250年。
常に町の中心であり続け、津山発展の礎となった津山城。
往時の姿や情景に思いを馳せながら、とても良い時間を過ごす事が出来ました。
姿形は変われど、見る者を圧倒し続けるその姿、まことにあっぱれです。