そこにあった城門と御殿殿舎が大阪市内の宝楽寺に移築され現存しているとの事。
宝楽寺の資料には、1711年(正徳元年)、大和宇陀松山藩より織田家の殿舎を移築したとあり、現在残されている山門、本堂はその時の建物だそう。
まずは寺の入り口にある立派な山門。
これは宇陀松山城の城門であったとの伝承があるようです。
次は本堂として使用されている建物。
宝楽寺は、1571年に織田信長の河内攻めにより堂舎等が焼失したと伝わりますが、信長の子、信雄が居城とした宇陀松山城から建物が移築され使用されたとは。
何とも感慨深いものです。