恐らく日本で最も巨大で、歴史的重要度が高いお城「江戸城」
なんといっても江戸時代には幕藩体制の中心地となり、そして現在の大都会東京の発展の礎となったお城です。
しかしその割に、よく見かける「最強の城ランキング」や、「行ってみたいお城ランキング」で上位に食い込む事はあまりないような気がします。
それは天守が無いからでしょうか?
しかし江戸城には現存建造物が沢山あり、お城ならではの景観を楽しむ事ができます。
今回は江戸時代から残る"現存櫓”を見ていきたいと思います。
桜田巽櫓
江戸時代には桜田二重櫓と呼ばれていた二重櫓。
お城の世界での「現存」の定義は江戸時代よりも前に創建され、現在も残っているものだそう。
この桜田巽櫓は関東大震災で倒壊しましたが、修理復元された事により現存櫓という位置付けになっているようです。
現存二重櫓は全国にいくつかありますが、この桜田巽櫓はその中でも最大級の規模を誇ります。
その堂々たる姿で現在も訪れた人達を圧倒し続けているようです。
富士見櫓
全国に12例しかない現存三重櫓の一つ。
(その他は弘前城の辰巳櫓、未申櫓、丑寅櫓、名古屋城の西北隅櫓、彦根城の西の丸三重櫓、明石城の巽櫓、坤櫓、高松城の月見櫓、艮櫓、福山城の伏見櫓、熊本城の宇土櫓)
その名の通り、ここからはかつて富士山が見えたようです。
明暦の大火で天守が消失してからは、事実上の天守のような存在だった櫓です。
この富士見櫓も関東大震災で倒壊しましたが、修理復元された事により現存櫓という位置付けになっているようです。
大火や震災を不屈の精神で乗り越え、現在でも往時の姿を偲ぶことが出来ます。
伏見櫓
1628年頃に京都の伏見城から移築されてきたと伝わります。
あくまで伝承のようですが、大坂城や岸和田城にもあった伏見櫓、現存している姿を見られるのは、広島の福山城とここ江戸城だけのようです。
皇居一般参観に申し込めば、近くで見ることができますが、一般入城可能エリアからみる、石橋越しの姿もすごくきれいです。
富士見多聞
江戸城には数多くの多聞櫓が存在していましたが、現存するのは伏見櫓に付属する2棟と、この富士見多聞だけのようです。
この櫓も富士見の名がついています。
現在は紅葉山の高木により富士山は望めませんが、方角的には見えてもおかしくないそう。
かつてここから見えたであろう富士山を想像しながら楽しみたいですね。
現存櫓は現存天守より貴重?
天守の現存率は約8%と言われ、
それに対し櫓の現存率は約1%以下だと言われています。
かつて存在した天守の数に対して、櫓の数の方が圧倒的に多かったという事でしょう。
櫓が現存しているという事は奇跡に近い事なのかもしれません。
そんな現存櫓が沢山みられる江戸城は、なんとも貴重な存在ですね。