はじめに
群馬県みなかみ町に位置する名胡桃城は、利根川右岸の断崖上に造られたお城。
武田氏が滅んだ後、真田昌幸が沼田城の攻略を目的に名胡桃城に入ったと伝わります。
沼田城は北条氏が治める城で、名胡桃城の南東5kmに位置します。
真田と北条のにらみ合い、そして豊臣秀吉の小田原攻めのきっかけとなった名胡桃事件。
歴史的な重要度の高さから、非常に注目度の高い名胡桃城。
どんなお城なのかとても楽しみです。
お城へ
最寄り駅はJR後閑駅。
ここから徒歩で約45分。
結構、いやかなり遠いですが頑張って歩いて行きましょう。
(ちなみにこの日は午前から岩櫃城に徒歩で登城しており、すでに足元は限界に近い)
まずは続100名城スタンプのある案内所へ。
ここでは御城印の販売のほか、名胡桃城の歴史などの展示がなされています。
名胡桃城は三の郭、二の郭、本郭、ささ郭を横長に郭を配置した連郭式の縄張り。
その北西側に現在では駐車場になっている般若郭が、その西側には外郭と呼ばれる郭があったみたいです。
三の郭から出たところには丸馬出しがあったようですが、現在は埋め戻されていて表面表示のような感じになっていますね。
また、二の郭から三の郭に出たところにも丸馬出しの存在が確認できたようです。
丸馬出しと言えば、武田流の築城術として著名ですが、武田氏の家臣であった真田氏もそれを受け継いでいたのでしょうか。
この辺りでは石垣も発掘されているようです。
現在は埋め戻されてみることが出来ませんが、近い将来公開される事を心待ちにしたいと思います。
この出入口には門があった事がわかっていますが、本郭側ではなく二の郭側にその痕跡が確認されたようです。
普通は主郭側に門を築くと思いますが、ここでは二の郭側に門が。
そのことから、二の郭が本来主郭であった可能性が示唆されているようです。
ささ郭は、利根川から登って本郭や二の郭へ向かう敵を防御するための空間でしょうか。
また、沼田方面への眺望もよいですね。
北条氏とにらみ合う真田氏はここから沼田城方面の様子をうかがっていたのでしょうか。
この沼田城をめぐって真田氏と北条氏は争いを続けていたようです。
天正17年(1589)豊臣秀吉の仲裁により沼田城は北条氏の物となりました。
その後秀吉は大名間の私戦を禁ずる総無事令を出し、一件落着かと思いわれました。
しかし北条方の猪俣邦憲が突如、名胡桃城を攻め落とすという事件が発生。
これについては真田氏の陰謀など諸説あるようですが、秀吉はこの事件に激怒。
北条氏征伐(小田原攻め)を決定したと言われています。
北条氏を滅ぼした豊臣秀吉は天下を統一。
名胡桃城は歴史を変えた城と謳われる事になりました。
現在の名胡桃城は、郭や堀などがとても良い状態で残っていて、現地を歩くだけでも十分に戦国を感じられるお城となっています。
大きな歴史の舞台となった場所、そこに残る良好な遺構。
これらが組み合わさるその瞬間こそがお城好き人生のゴールデンタイムと言えそうです。