登城のススメ

日本のお城とその歴史についてつらつらと。

【箕輪城】時代と共に変わりゆく城【100名城】

はじめに

日本100名城箕輪城と言えば、井伊直政や北条氏、そして上野の雄、長野業政が城主を努めた事で有名でしょうか。

 

群馬県の北西部、関東平野が終わっていく榛名山付近の台地に位置する箕輪城

 

築城時期についてはよくわかっていないらしく、築城者も長野業政の祖父の業尚と言われていますが、これも明確な資料があるわけではないとの事。

 

しかし、この地方の他の城と同じく、享徳の乱長享の乱における戦乱の中で築かれた城であることは確かなようです。

 

西上野の名城箕輪城。胸が高鳴ります。

 

お城へ

JR上越線高崎駅

JR高崎駅からバスで向かいます。

群馬バスの「箕郷行き」または「伊香保温泉行き」どちらかに乗車します。

 

「箕郷行き」に乗車の場合は「箕郷本町」で下車、徒歩20分で城跡。

伊香保温泉行き」に乗車の場合は「城山入り口」下車、徒歩5分で城跡。

 

令和5年3月現在、歩かなくてよい方の「伊香保温泉行き」は8:55発~12:55発の間の時間帯しか運行していません。詳しくは群馬バスのHPをご確認いただきたいです。

 

今回は「箕郷行き」に乗車、「箕郷本町」から徒歩で城跡に向かいます。

バスを降りると付近は旧箕輪城下町。

 

城下町の案内板。
徳川家康の関東入封後にこの地に入った井伊直政によって整備された城下町らしい。

 

白川口埋門

箕輪城の入り口は大手口、搦手口など多数あるようですが、今回は城郭の西側、大手虎韜門口から登って行きます。

 

虎韜門口跡

 

主郭部への登り口

10分ほど登って行くと急に視界が開けて何やら建物が現れます。

 

 

郭馬出西虎口門

この付近では門の礎石が発掘されていて、現在は門が復元されています。

この礎石は井伊直政が城主の時代の遺構と見られるとの事。

 

門を潜ると二の丸南側にある巨大な郭馬出しへ

 

二の丸から見た郭馬出し。ここから見ると形がよくわかって面白い。

郭馬出しと言えば北条氏ですが、この馬出しは誰の時代に造られたものなのでしょう。

 

郭馬出しの両サイドには大堀切。この部分で城郭の南北を区切っているよう

 

三の丸虎口付近にある石垣。
井伊直政時代の遺構と考えられているそう。

箕輪城では至る所で石垣が発見されているようで、特にこの大手門付近の石垣は最高4.1mを誇るそうです。

そして背後には最高1.3mの北条氏時代の物とみられる石垣も発見されており、古くから大手を固める目的で石垣が築かれていたのでしょうか。

 

井伊氏時代の石垣は自然石を加工せずに用いた野面積み。

 

 

本丸を囲むように掘られた堀。
この辺りの堀は、井伊氏の前段階、北条氏時代の遺構とされている。

 

橋を渡って本丸へ

 

橋の上から見る堀。相当厳つい堀。

 

箕輪城本丸跡。相当な広さ

城郭東側の搦手口方面へ降りる。

城郭東側の外堀

ほぼ形はわからないが丸馬出し。さっきは郭馬出しだったが今度は丸馬出し。

搦手方面は道もよく整備されていて、大きな駐車場もあります。

 

大手口よりは格段に登城しやすいのではないでしょうか。

 

こっちから登った方が良かったと少し後悔。

 

最後に

箕輪城の築城者である長野氏。

その時代の縄張りや遺構についてはよくわかっていないのが現状だそうです。

 

ただ、平成十年から行われた発掘調査に於いて、箕輪城の縄張りの変化を三時期に分けられる事が判明したそうで、第一期と位置付けられる縄張りは、長野氏から武田氏時代の物と考えられるそうです。

 

この第一期の縄張りが、唯一築城初期の箕輪城を感じられる部分かもしれません。

 

ちなみに、第二期は北条氏が城主を努めた頃で、現在みられる本丸を囲むように巨大な堀が掘られた時期。

 

第三期は井伊直政が城主を努めた頃で、ほぼ現在の縄張りに近く、三の丸付近の石垣や、郭馬出虎口門が作られた時期だそうです。

 

現在見られる箕輪城の姿はおおむね井伊直政時代の物という事がわかりますが、築城当初からの縄張りを踏襲している部分もあると考えられているそうです。

 

時代の移り変わりに伴い、城も同じように変化していったのでしょうか。

 

箕輪城は、そんな事を想像しながらじっくり歩きたいお城です。