洲本城
三好長慶の弟「安宅冬康」や、豊臣家臣賤ケ岳七本槍の「脇坂安治」などが城主を努めた歴史的にも重要なお城です。
続100名城に選定され、また立派な模擬天守も見られる事から沢山の観光客で賑わっています。
特に関西では近年人気の観光スポットになっている淡路島。
そこに存在した洲本城には、全国的にも珍しい遺構「登り石垣」が残っています。
さっそく見に行きたいと思います。
登り石垣とは
普通石垣は横向きにズラーっと積まれていますが、登り石垣は竪向きに山を登って行くように積まれた石垣です。(竪石垣とも)
縦状に石垣を積むことで敵の横移動を封鎖する目的というのが通説ですね。
横移動を封鎖すれば、斜面を伝って背後に回り込まれるという事も防げる可能性があります。
登り石垣は、文禄・慶長の役に於いて朝鮮半島からその技術が持ち込まれ、国内に広がっていったと考えられています。
洲本城の他にも、彦根城、伊予松山城、鳥取城、米子城などに設けられていますが、限られたところでしか見られない珍しい石垣だと言えると思います。
洲本城の登り石垣
洲本城には東登り石垣、西登り石垣の二か所の登り石垣があります。
いずれも山麓の館と山上の城を結ぶように築かれているようです。
洲本城の城主、脇坂安治は文禄・慶長の役にて築いた倭城にて用いた技術を、自らの居城である洲本城に導入したと考えられています。
特に特徴的なのは東登り石垣。
段々状に石垣が積まれていて、まるで巨大な階段が山を登って行くように見えます。
この様な形式は洲本城独特のもので、非常に見ごたえがあります。
この登り石垣の目的は、通説の敵の横移動を防ぐほかに、山上と山麓を繋いで一体化する、山麓から山上への通路のような役割を持つ、などいろいろな説があるようです。
洲本城には立派な模擬天守や迫力ある石垣、広大な海が望める絶景など、魅力は多々ありますが、非常に特徴的で貴重な遺構である登り石垣も是非目に焼き付けておきたいところだと思います。