登城のススメ

日本のお城とその歴史についてつらつらと。

【岐阜城】天下布武のお城【100名城】

岐阜市中心部に佇む金華山の山頂に築かれた山城「岐阜城

 

この地にはもともと斎藤氏の居城「稲葉山城」がありましたが、織田信長が攻め落とし、自らの居城を築いたと伝わります。

 

というわけで岐阜城といえば織田信長のイメージが強いでしょうか。

 

この街を「岐阜」と名付けたのも信長であるという話はあまりにも有名かと思います。

 

山麓から主郭部までロープウェイで一気に上がれるという事で、最もアクセスしやすい山城の一つではないでしょうか。

JR岐阜駅からバスで15分ほどでロープウェイ乗り場に到着。

 

往復1100円のロープウェイ。15分間隔で運行されているので、待ち時間も少ない。

 

ロープウェイ山頂駅からは徒歩7分程で岐阜城天守閣。

 

天守までの道にある堀切。

 

岐阜城天守閣。模擬天守ですが立派です。

さて、織田信長岐阜城の他にも、清洲城小牧山城安土城と状況に合わせて居城を転々としていくという、現在で言うところの転勤族のような形をとっていたそうです。

 

このように、本拠を移転していくというのは当時の価値観では主流ではなかったようです。

 

例えば甲斐の武田信玄は、信濃、上野と領土を拡張しますが、本拠は一貫して甲府躑躅ヶ崎館毛利元就安芸郡山城から本拠を変えることなく中国地方の雄となる。北条氏は初代の宗瑞こそ韮山城が本拠ですが、二代目氏綱からは小田原城を本拠に関東に覇を唱え北条五代、輝かしい歴史を作っています。

 

信長はとにかく革新者といったイメージがありますが、そういった面でも新しい事をやっていたようです。

 

ここ岐阜城はそんな信長の4つ目の居城です。(那古屋城清洲城小牧山城岐阜城安土城)

天守最上階から。濃尾平野を見渡せる。

 

信長には有名なエピソードが沢山ありますが、足利義昭を奉じての上洛比叡山焼き討ち姉川の戦い長篠の戦いなど、多くの出来事が、ここ岐阜城在城時に起っています。

 

近江方面。長良川の流れがよくわかります。

また、天下布武の印を使用し始めたのも、楽市楽座礼を出したのもここ岐阜城での出来事。

 

 

信長を語る上で外すことはできない、非常に重要なお城ですよね。

 

さて、岐阜城には山上の城跡部分と山麓の居館跡部分に分けられるようで、近年特に山麓部分の発掘調査が進められているようです。

 

かつてこの地を訪れたポルトガルの宣教師ルイス・フロイスもこの居館について書き記しているようです。

 

「これらの宮殿は非常に高い山の麓にあり、そこには美濃国の主城岐阜城が建っています。」

「入り口に劇場のような宮殿があり、長い石段を登ると宮殿の広間に入ります。」

 

「宮殿の外には石の囲いがありました。」
「石はあまりに大きく、つなぎ合わせるのに石灰を必要としません。」

「美濃の人々はこれを信長の極楽と呼んでおります。
私はこの宮殿の事を導師に報告するために記憶するつもりでしたが、見たものが多すぎたため、これについては簡潔に述べる事とします。」

 

400年以上前に書き残された資料と現在の姿を照らし合わせながら楽しむ事が出来るお城なんてとても素敵ですね。

 

こういった楽しみ方ができるのも、近年に始まった発掘作業及び復元整備のたまものだと思います。

そして今後も引き続き様々な部分が明らかにされていくのでしょうか。

 

いずれにしても岐阜城の動向から目が離せそうにありません。