はじめに
続日本100名城に選定されている芥川山城。
先日国の史跡に指定された事で、今最も注目されている山城ではないでしょうか。
芥川山城は、室町幕府管領の「細川氏」に始まり、後の天下人「三好長慶」が居城としたお城です。
歴史的に重要なお城である事は言うまでもなく、それを示す遺構も良好な状態で残っているようです。
そこは果たしてどんなお城なのか。今回もじっくり見ていきたいと思います。
城跡までのアクセス
高槻市摂津峡の駐車場から徒歩35分・・・との事でしたが、
冬季期間の為、駐車場が閉鎖中でした。
※12月半ば~3月半ばまで閉鎖。詳細は高槻市観光協会のwebページで。
近隣にコインパーキングは多くなく、たまたま見つけたタイムズB「塚脇弓道場前」に駐車。
webでの予約が必要でしたが、登山口まで徒歩15分ぐらいの距離だったので、すぐにスマホで予約。
ここから城跡入り口「塚脇口」まで歩いて行きます。
さてさて、いよいよ芥川山城へ登城開始です。
しばらくはなだらかな山道を登って行きます。
特に危険な場所は無い印象。
ただ、迷わないようにしっかり案内板に沿って進んで行きましょう。
芥川山城がある三好山は標高182m、比高は100m少々。
決してしんどい部類では無いと思いますが、快適に楽しめるようトレッキングシューズの用意、事前の道順確認などは行って臨みたいですね。
竪土塁
さて、そろそろ登り切ったかな?というところで現れるのは、芥川山城ならではの見所「竪土塁」。
山の斜面を低い所から高い所へ縦方向に設けられた土塁です。
竪土塁は敵の横移動を防ぐ為の防塁で、同じ役割のものに竪堀や登り石垣があります。
あまりお目にかかれない遺構なので、しっかりと目に焼き付けておきたい所。
堀切と土橋
さらに主郭部へ向けて進んで行くと、尾根を遮断する堀切があります。
竪土塁があったエリアと、これから向かう主郭部を見事に遮断しています。
先ほどの竪土塁は、この堀切を避けようと、斜面を降りて迂回しようとする敵に備えて設けられたという考えもあるようです。
お城の防塁の設けられる位置には、必ず意味があるといいます。
そういった事を確認しながら歩くのも山城の醍醐味ですね。
石垣
芥川山城には中世の山城には珍しい石垣が設けられています。
この石垣は、三好長慶が後に居城とする飯盛山城でも確認されていて、その前段階の芥川山城在城時から石垣を取り入れていたという証拠になるでしょうか。
ただ芥川山城では、あくまで城の一部に限られます。
飯盛山城では、城郭のほぼ全域で石垣が確認されていますが、ここでは一部分に留まります。
しかしながら三好長慶の「石垣を主体とした城郭」という方針を垣間見る事が出来るのでとても面白いと感じます。
しかもこの場所の石垣は城の大手道(正面口)に位置し、登ってくる人々に対して石垣を見せる、権力を誇示する、そういった思惑があったのではと考えられています。
既にこの時点で、石垣をそのような趣旨で使用し始めていた三好長慶、恐るべしです。
主郭(本丸)からの眺め
最後に主郭部から摂津の町並みを一望します。
関西の都心部からほど近い場所でも素晴らしい景色を望めます。
芥川山城はその見晴らしの良さから、お城好きだけではなく、ハイカーの方や親子でのピクニックなど、沢山の方々の憩いの場となっているようですね。
おわりに
令和4年の11月。
満を持して国の史跡に指定された芥川山城。
本格的な発掘調査や研究が進められ始めたのは比較的最近だといいます。
と、いう事は今後も更に「解りやすさ」、「歩きやすさ」、「過ごしやすさ」などが、まだまだブラッシュアップされていくのではないでしょうか。
今最も注目すべき摂津を代表する山城「芥川山城」。
いちお城ファンとして、今後の更なる進化を、大いに期待しています。
スタンプ・御城印
高槻市立しろあと歴史館
開館時間:10時~17時
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
芥川山城のあゆみ
1516年頃
細川高国によって築城される。
1533年
細川晴元が居城とする。
1553年
三好長慶の攻撃により、降伏。
長慶は自らの居城とすべく入城する。
1560年
1568年
義昭家臣の和田惟政が城主となる。
1569年
このころから芥川山城の機能は低下していき1571年ごろに廃城を迎える。
2017年
続日本100名城に選定される。
2022年
国の史跡に指定される。
現在~
国指定史跡「芥川城址」として更なる復元整備が実施予定である。