登城のススメ

日本のお城とその歴史についてつらつらと。

【山城との闘い】続100名城の角牟礼城に行く

はじめに

角牟礼城は、13世紀後半ごろに玖珠群衆の森朝道により築城されたと伝わります。

切り立った崖に囲まれた角埋山(つのむれやま)に築かれた城で、竪堀などの中世的要素と、石垣など近世的要素を同時に楽しむことが出来る貴重な山城です。

 

1587年には、島津義弘が豊後に侵攻。

この地域を守る玖珠衆は角牟礼城に籠城し、島津軍6000をわずか1000人で守りきります。

 

「難攻不落」「要害堅固」と言われるお城は、いくつかありますが、実際にそれを証明したお城は多くはありません。

 

ここ角牟礼城はその一つに数えられるお城。

どのようなお城なのか、今回もじっくり見ていきたいと思います。。

 

 

城跡までのアクセス

レトロな駅舎の豊後森駅

最寄り駅はJR久大本線豊後森駅

ここから徒歩で40分ほど。

 

バスでもアクセスできますが、鉄道との接続が良くなかったので今回は徒歩で向かうことにします。

 

まずはスタート地点である「わらべの館」を目指す事になります。

 

駅を出て左手に直進(県道678号を西へ)

一つ目の交差点(春日十字路)を右へ。そのままひたすら直進します。

森川をわたり、

高速道路を潜り抜けます。ここまで来ると半分ぐらい、もう少し直進です。

「森中央小学校先」交差点を左折

自治会館そして角牟礼城跡の看板が出てきました。あと一息。

かつての森藩の城下町を通り抜けます。

小さな城下町を謳っているようですが、とても風情があります。

ようやくわらべの館に到着です。

 

こちらの中にある豊後森藩資料館にて100名城スタンプ御城印の販売、角牟礼城への登城方法など詳しい説明などをして頂けます。

より安全により楽しく登城する為に、ぜひ寄って行かれる事をお勧めします。

 

三島公園

わらべの館からは三島公園の北側を横切り登城口へ。

地図だけでは少し分かりにくかったので、わらべの館で詳しい道筋を聞いておくのが良いかと思います。

 

角牟礼城への登城口

さあ、いよいよ登城口。ここから本丸のある山頂までは30~40分ほどでしょうか。

多少きつい登りもありますので、歩きやすい靴でちょっとした食糧などを持参した方が良いかと思います。

 

旧久留島氏庭園内を通る登城路

しばらくは舗装された道を登ります。

この辺りは、「旧久留島氏庭園」と呼ばれており、国の名勝に指定されている庭園です。

 

豊後森藩を治める久留島氏の陣屋があった場所で、8代目の久留島道嘉の時にこの庭園が整備されたそうです。

 

標高577mの角埋山

このあたりから右手に角牟礼城のある角埋山が見えてきます。

いよいよ本格的な登りです。

なだらかな遊歩道に見えますが結構な勾配があります。

 

その後は石段になります。ここもそこそこ登ります。

 

そして石段もなくなり、本格的な山道に。

 

草刈りや案内板が設置されているので、危険な印象はありません。

 

見どころ

畝状空堀

「そろそろ登りも終わりかな」という所で現れるのが、角牟礼城の見所の一つ「畝状空堀群」です。

城郭の南西面に連続して竪堀が掘られています。

手前から奥に向かって伸びる竪堀

角埋山は三の丸がある南西側の斜面が緩やかである為、このように竪堀を張り巡らせているようです。

 

畝状空堀

それにしても竪堀というのは、最も写真に収めにくい遺構ではないでしょうか。

やはりその広大さ、立体感をその場で生で見られることを是非お勧めしたいです。

 

穴太積みの石垣

角牟礼城は古くから石垣がある山城として知られています。

特に山頂付近の石垣は、全国でその技術が飛躍的に普及した「文禄期」の特徴を持っています。

積み方に関しても織田信長安土城に始まる「穴太積み」の特徴が見て取れることから、このように「穴太積み石垣」と案内がなされています。

二の丸付近の石垣

大手門付近の石垣

二の丸西曲輪出入口の石垣

穴太積みは穴太衆が積んだ石垣という意味で、城郭用語に出てくる石垣の分類としては「野面積み」になるかと思います。

 

これらの石垣は1594年に入部した毛利高政により改修されたもの、もしくは1601年の来島氏入封以後に造られたもの、など様々な説があるようです。

 

いずれにしても各所に石垣がしっかり残っており、石垣が見られる山城としては九州を代表する存在であると言えるかと思います。

本丸

令和五年二月現在、石垣修復の工事中

角埋山の山頂部に位置する角牟礼城の中心部、本丸跡です。

ここは北側には石垣、それ以外は切岸と帯曲輪を壇状に配置するという中世山城の特徴が見て取れます。

 

本丸の切岸。簡単に登れないよう急斜面を作っているよう。

本丸南側の帯曲輪

特に南側に帯曲輪などの多数の曲輪を配置しているようです。

これも角埋山の形状(南側がなだらか)を踏まえた上での防御の仕組みでしょうか。

 

本丸南側にある出入口(虎口)

展望所

二の丸から本丸に上がる途中に展望所があります。

ここからは、玖珠盆地や晴れた日には遠く、くじゅう連山まで素晴らしい景色が望めます。

玖珠盆地と森藩城下町

くじゅう連山もかすかに見える。

東には大岩扇山、小岩扇山。

角牟礼城はアクセス面などハードルが高いかもしれませんが、見所はたっぷり、達成感もしっかりと、行って後悔する事はないと思います。

 

「また行きたいな」そんな気持ちにさせてくれる貴重なお城角牟礼城。

まさに続100名城に選ばれて然るべき名城です。

 

続100名城スタンプ・御城印

わらべの館2階「豊後森藩資料館

 

開館時間:9時~16時30分

休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)年末年始

 

角牟礼城のあゆみ

13世紀後半ごろ

玖珠群衆の森朝道により築城されたと伝わる。

 

1587年

島津義弘の豊後侵攻の際に、この地域を守る玖珠衆は角牟礼城に籠城。

島津軍6000に対し、わずか1000人で守り切る。

 

 

1594年

毛利高政が日田・玖珠群に入部。その際に角牟礼城の本格的な改修を実施する。

現在見られる穴太積みの石垣はこの頃に造られたとみられる。

 

1601年

毛利高政は豊後佐伯へ転封となり、角牟礼城は廃城となる。

同年、来島村上氏来島長親が入封し森藩が立藩される。

山麓に陣屋を構え、廃城となった角牟礼城は有事の際の詰め城として整備を行っていたとされる。

 

2005年

国の史跡に指定される。

 

2017年

日本100名城に選定される。

 

現在~

お城好き、山城好きの方々の憩いの場となっている。