青森県のお城といえばやはり「弘前城」の名前があがるでしょうか。
しかし同じ青森市内に、さらに時代を遡る城跡があります。
続日本100名城に数えられ、青森県初の国の史跡に選ばれたお城「浪岡城」
どんなお城なのか、今回もじっくり見ていきたいと思います。
城跡までのアクセス
最寄り駅はJR浪岡駅。
ここから徒歩で30分ほどです。
駅に併設されている交流センター「あぴねす」で詳しい道筋を教えていただけます。
そして浪岡城のパンフレットなども頂き、この日はリンゴまで頂きました。
それでは城跡へ向けて歩いていきます。
まずは浪岡駅前の県道34号をひたすら直進します。
コンビニがある交差点も直進。
そうすると突き当り、ここを左折します。看板も出ていますね。
しばらく道なりに歩くと、川を渡る赤い橋があります。ここも渡って直進します。
左手に青森市中世の館が見えてきました。こちらで100名城スタンプ、御城印の購入ができます。
中世の館を左手に見ながら直進。ここまで来るとあと少し。
右手に浪岡城跡が見えてきます。
城跡を右手に見ながらもう少しだけ直進しますと、
案内所や駐車場のある浪岡城入り口に到着です。
なかなか距離はありましたが、険しい道は無いので、特に苦痛はありませんでした。
それでは登城開始です。
続100名城に選定されている浪岡城。築かれたのは1460年頃。
南朝の雄「北畠顕家」の末裔である「浪岡氏」がこの地に城を構えたのが始まりとされています。
1578年、後の弘前藩初代藩主「大浦(津軽)為信」に攻められ落城しますが、この時代を代表する城館跡という事で、青森県で初めて国の史跡に指定されたようです。
見どころ
浪岡城は7つの曲輪(館)と外郭から構成されていて、それらを結ぶように見学ルートが整備されています。
まずは順番に廻ってみましょう。
猿楽館~北館
まずは猿楽館。ここからは見えませんが、この藪の向こう側でしょうか。
パンフレットには「能舞台があったかもしれない場所」と記載されています。
「あったかも」なので、詳しい事はこれからわかっていくのでしょうか。
次に出てくるのは東館という曲輪。
浪岡城が滅ぼされた後、津軽為信の弟が「代官」としていた場所とされています。
次はひと際広い北館という場所にやってきました。
北館は全域が調査されているようで、城主の家臣たちが住んでいた場所だとされています。
現在は板塀で区切られた屋敷跡の遺構を見ることができます。
西館~内館
西館に到着です。
ここは調査が行われておらず、どんな場所だったかは解っていないそう。
ただ北館に次いで広く、城の中心部を守るように位置するため何か重要な役割があったのかもしれません。
次に中心部の内館に廻ってきました。
浪岡城の城主が住んでいた場所で、まさに城の中心部だったと言われています。
これで主要な曲輪を回り終えました。
所要時間は見学ルートに沿って40分程でしょうか。
中世に築かれた貴重な遺構なので、ゆっくり見物しながら歩きたいところですね。
最後に城域の東端の新館、西端の検校館を見て廻りたいと思います。
新館~検校館
その名の通りもっとも新しい曲輪だそう。
こちらも調査が行われておらず、どういった場所かはわかっていないようです。
この辺りはこれから調査が行われて、全貌が明らかになっていくのでしょうか。
いずれにしても、とても楽しみですね。
中土塁と堀
浪岡城の堀の中には、土塁を堀残した「中土塁」といわれる遺構が存在します。
必然的に堀は二重、三重堀になっていて、これらは大きな見どころの一つと言えると思います。
実際に中土塁の上を歩いていくように見学ルートが設定されており、その遺構を存分に楽しめるようになっています。
堀の中にこのような土塁が巡らされているのは珍しく、またその中を歩く事ができるのはかなり貴重ではないでしょうか。
危険な場所もほとんど無いので、是非じっくりと堪能したいところですね。
続100名城スタンプ・御城印
青森市中世の館
会館時間9時~17時
休館日:月曜日、毎月第三日曜日、年末年始
※スタンプのみ、JR浪岡駅併設の交流センター「あぴねす」で押印可能。
浪岡城のあゆみ
1460年頃
南朝の雄、北畠顕家の子孫と伝わる「浪岡氏」が南部家の庇護の下、浪岡城を築城する。
1500年代前半
浪岡氏は京都と交流を持つなど最盛期を迎える。
1578年
1940年
2017年
続日本100名城に選定される。
現在~
見学ルートの整備や案内板の設置など、史跡公園として多くの観光客を迎え入れている。