日本有数の断層「中央構造線」と「フォッサマグナ」が交差する地に位置する諏訪湖。
そのほとりには、かつて浮城と称された地域を代表するお城がありました。
日本三大湖城に数えられ、続100名城に選ばれてい名城「高島城」はどのようなお城なのか。
今回もじっくり楽しんでゆきたいと思います。
登城記
今回は鉄道の利用です。
上諏訪駅から徒歩で15分ほどで高島城入り口に到着です。
さっそくですが、天守が石垣が水堀がという近世城郭ならではのパーツ達がお出迎えです。
それでは登城開始しましょう。
立派な堀にかかる橋を渡って城内へ入っていきます。
見どころ①復元された門と角櫓
まず出迎えてくれるのは冠木門跡という場所に建つ立派な門。
冠木門跡ということですが、復元されているのは楼門という形式です。
もともと冠木門という形式の門が建っていたようですが、後に楼門に建て替えられ、冠木門跡という名称だけが残っているそうです。
門を潜り、左手に進んでみます。
こちらにも復元された隅櫓が佇んでいます。
これら門と櫓は、1970年に復興されたものです。
こうやって往時の姿をしのぶことができるのは、とても素敵なことだと思います。
見どころ②復元天守と最上階からの眺め
高島城の天守は本丸の北西側に聳えています。
明治時代の廃城の際に取り壊された天守ですが、こちらも1970年に復元されました。
↑資料を元に外観を復元した天守。
高島城天守の屋根はこけら葺きです。
寒冷地である為、普通の瓦では割れる恐れがある。
かといって代わりの素材も調達できなかった事から、廃城前の天守もこけら葺きだったそうです。
それではいよいよ天守に入城します。
建物内は歴史資料館となっていて、諏訪地方の歴史、特に武田家との関わり合いなど、興味深い資料が沢山展示されています。
この地方を代表する観光名所となっていると思います。
見どころ③石垣とお堀
高島城は、近世城郭ならではの石垣、水堀を存分に楽しむ事が出来ます。
石垣は殆どが後年に修復されたようですが、往時の面影を今に伝えています。
かつて高島城は、三之丸、二之丸、そして天守のあった本丸を諏訪湖上に連郭式に配した「湖城」であったと伝わります。
現在は埋め立てがなされ、その景観は残っていません。
しかし、日本三大湖城に数えられた当時の姿に想像を巡らせながら楽しむ事が出来る高島城。
地域の方、お城好きの方など沢山の人々に愛される名城でございます。
高島城のあゆみ
1590年
1592年
1598年
高島城完成。石垣が用いられ、天守も建てられた織豊系城郭としての様相だった。
1600年
日根野高吉死去。息子の吉明(よしあきら)が後を継ぐ。
1601年
日根野吉明が下野壬生へ転封となる。
その後、諏訪頼忠、頼水親子が入り明治維新まで諏訪家の本拠となる。
1875年
廃城となり、天守などの建築物は取り壊される。
1970年
天守、角櫓、門が復元され高島公園としての整備が進められる。
2017年
続日本100名城に選定される。
現在
日本三大湖城「高島城」として地域の方々、お城好きの方々の憩いの場となっている。